流行語大賞を狙って2年が経った
私は、2012年ころからひそかに流行語大賞を狙っている。
なぜ流行語大賞を狙うかと言うと、一発当てたった感を味わいたいからである。
要するに、自分の平凡な人生に華を添えたいのだ。
そんなのただの一発屋で終わるだけじゃないか、とおっしゃる意識の高い方もいるだろう。
でもこれまでの人生が何もかも中途半端な私にとっては、「一発屋」は一発当てているという事実だけで既に尊敬に値する存在である。
それにそもそも"持続可能な当て屋"になるなど、
NAI NAI NAI 体力ない NAI NAI NAI 精神力ない NAI NAI NAI なにより自信がない。
というわけで、流行語大賞で一発当てたいと思っている。
で、どうやって流行語大賞を獲るかだが、まず無名な私が広く言葉を広める手段としては、インターネットが最も効率的だと判断した。
そして、中でも拡散力の高いTwitterを使おう、とそこは特に深く考えずに選択した。
流行語と真剣に向き合って2年、Twitterからの大賞獲得はそこそこハードルが高いことに気づきつつある。
これまでに大賞と獲った言葉の傾向を見てみると多いのは以下の3種のように見受けられる。
- 芸人のギャグ → 動き・音(言い方)の要素が重要
- ドラマ/スポーツ選手や首相の台詞 → その台詞に至る背景や文脈が重要
- 政治的事象 → そもそも国家レベル(特に流行語がなかった年に仕方なく選ばれる傾向)
(参考:新語・流行語大賞 - Wikipedia )
Twitterのつぶやきでは、上記1~3を流行語大賞たらしめている重要な要素のほぼ全てが欠落してしまう。その点でハードルが高くなる。
だが、だがしかしである。2013年の流行語大賞候補に「激おこぷんぷん丸」がノミネートされたことを、我々は軽視してはならない。
著名人がマスメディアの前で発した言葉ではなく、一般で使われた言葉がTwitterで広まり、話題性が高まり、それがきっかけでテレビで取り上げられ、「大賞ノミネート」まで上り詰めたというこの事実は、まさにTwitter流行語界に流星のごとく現れた輝く希望の☆なのだ!(と私は認識している)
ここからは、私がこの2年の間に生み出した流行語を紹介する。
ちなみに、"おいおい、流行してないから流行語じゃないだろ"というツッコミには恐縮だが反論させていただきたい。
下記の言葉たちは生み出された時から「流行語大賞」の座につくことを使命とされた言わば「王家の血筋の者」。
一般語が好機に恵まれて流行語となるのとは異なる、生まれ持っての「流行語」なのだ。よって、私は下記の言葉たちを「流行語」と呼ぶ。
ただし、王家の血筋のものが必ずしも政治的な才覚を持っているかといえばそうではないように、生まれ持っての流行語が必ずしも流行するわけではないという点はご理解いただけたらと思う。
其の一:「おやす〜☆」
<制作意図>
これは、かつて「おっはー」が流行ったことを意識して作った。
SNSやLINEの普及により、学校などで面と向かって友人同士で交わすチャンスが少なかった「おやすみ」という挨拶も、気軽に言い合えるようになる、という時代の流れを見据えた流行語である。
"文字でやりとりする"という特徴を活かして伸ばす棒を〜にし、最後に☆をつけることでより流行感を醸し出そうとした。
<結果>
自分の身の回りのインターネットの人たちがおもしろがってbotを作って毎晩定時につぶやくなどしてくれたが、そこまでだった。
おやす〜☆ http://t.co/H2qUi06FCs
— 趣味はマリンスポーツです (@hitode909) 2014, 5月 16
おやす〜☆ http://t.co/BjUSczmAgH
— ⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀⠀ (@negipo) 2014, 5月 16
<反省点>
あまりにも普通の言葉すぎた。
こういう普通の言葉は、使用機会が多いという点では正なのだが、「おっはー」のような"動き"や"言う人間のキャラクター"という付加価値がないと特別な言葉としての体をなさない。
そもそもこれは、たとえ流行っても「私が生み出しました!」と言い切れない。
其の二:やめちゃった退職
<制作意図>
自分が前職(SE)を退職する際、退職を決意するに至った経緯を説明したところ、上司を始めとする周囲のひとに「え、そんなことで辞めちゃっていいの?」という反応をされ、「傍から見たら"てへ。辞めちゃった♡"くらいの軽率な決断に見えるんだろうな」と実感した経験を踏まえ、そのような退職を「やめちゃった退職」と呼ぶことにした。
"できちゃった結婚"的に、社会一般で活用されることを予想。
<結果>
私以外の人が使っているのを見たことがない。
<反省>
使用機会が少なすぎた。なにより制作した私自身、まだ1回しか使うチャンスに巡りあってません。
また、"やめちゃった退職"をする人が、できちゃった結婚ほど続出する展望も特に見えない。
<制作意図>
完全に音の響きだけで制作。作った当初は、オポチュニティの意味をよくわかってなかった。
<結果>
この言葉をこのブログにも記載した際に、少しだけ取り上げてくれるツイートが増えた。が、一瞬の煌めきで終了。
<反省>
おそらくこれも言葉として使用機会が少なすぎた。そもそも意味がよくわからずに作ったので、私自身が使いドコロを掴めていない。
其の四:もう死ですよ〜
<制作意図>
辛いことがあったときにつぶやく使用機会の多い言葉として制作。思わず声に出して発した時に周囲にウケたので、いけそうな予感があった。
<結果>
ツイッターでつぶやき続けたところ、周囲の何名かは継続的(?)に使ってくれるようになった。
<反省>
これは使用機会も多く、少しイイ線いったような気がしているが、やはり字面として少々平凡だった。動きと声のインパクトを重ねられればもうちょっとイケたかも感がある。ていうか「死」という言葉がネガティブすぎて、しょっちゅうつぶやくことが憚れる点が大きな欠点であった。
其の五:まだ水
<制作意図>
平日の5日間を過ごしていると、水曜日あたりで必ず「まだ水曜日か・・・」という感情がやってくるので、もう省略しちゃえと思って省略した形。「まだ水曜日か」という思いに共感が多かったので流行語として世に送りだした。
<結果>
"まだ水"については、初めて【みんなで流行語大賞を目指そう!】とキャンペーン化して拡散を狙ってみた。ポッキーアカウントが11月11日にやっていた【ギネスを狙おう!】ってやつをお手本にした。
【ツイッター発流行語大賞を目指そう!】本日、#まだ水 をつけて「まだ水曜日か」という切ない想いをつぶやいてくれた方から抽選で5名様にハローワークくんステッカープレゼント!"まだ水"で流行語大賞を獲ろう☆ 【拡散希望】 #まだ水 pic.twitter.com/K2dSQV6924
— ニート・ザッカーバーグ (@t01545mh) 2014, 4月 16
もしかしたら多くの人の"皆で協力して何かを成し遂げたいゴコロ"をいい感じに刺激しちゃって、めっちゃ拡散されちゃうんじゃないの!?とドキドキしていたが、結果は8RTと惨敗であった。
<反省>
これも毎週水曜日しかつぶやけないという微妙な機会の制限が響いた。また、"まだ水曜日"という感覚に共感しない人も意外と多く、使用者が制限されてしまった。ネガティブな言葉だったのもよくなかったかもしれない。
キャンペーン化は・・・どうしたらよかったのか模索中。
その他、「むりぽじ(無理にポジティブに考えること)」「〜してcmg(〜してチョンマゲの略字版)」「コングラコングラ(オタクっぽい"おめでとう"の言い方)」などまだまだたくさんの流行語を生み出してきた私だが、すべて説明しているとキリがないので割愛する。
まあとにかく、2012年度/2013年度の流行語大賞ノミネートには至らなかった。
これまでの経験から得た上記の反省を活かし、今後は下記の条件を満たす流行語を引き続き生み出し、発信していきたいと思っている。
・使用機会が多く、誰でも使える
・すぐに意味がわかる
・"激おこぷんぷん丸"くらい字面だけでインパクトがある or 動画を活用する
・ネガティブすぎない
・拡散してもらいやすい方法は引き続き模索
さぁ、みんなで、Twitter発流行語大賞を目指しましょう!
(アドバイスお待ちしております)
Let Neet Go 〜ありのままで〜
(動画版はこちら → https://www.youtube.com/watch?v=l5QNzWNKIXM)
(本物はこちら → https://www.youtube.com/watch?v=d6SSnbVCmEg)
減り始めた預金は 残高消して 真っ昼間自宅に ひとりの私
親が電話でささやくの このままじゃダメなんだと
暇 乞い 職 辞し
誰にも打ち解けずに 篭ってた それももう・・・
やみつき
ありの ままの
姿見せるのよ
ありの ままの
自分になるの
何も稼がない 金もうけ
少しも興味ないわ
働いてたことが嘘みたいね だってもう自由よ なんでも出来る
どこまでやれるか自分を試したいの 支出削るのよ 私
ありのままで 家事手伝い名乗るの
ありのままで やり過ごしてみるの
二度と汗水は 流さないわ
冷たい視線に包まれて いつか這い上がる想い演じて
腹立つ周囲の説教の声に 屈しないでいたい もう決めたの
これでいいの 自分を甘やかして
これでいいの 自分を恥じて
Wifi 浴びながら 時間つぶそう
少しも寒くないわ
何も成し遂げない人生
以前より、このブログに書いていた"プリキュアを目指す"こと。
これをあきらめてしまった。
たくさんの方に応援していただいたのに、本当に申し訳ない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
端的に申し上げると、諸々体力的にキツかった、という極めて根性なしな理由である。
そんなことで簡単にあきらめるくらいなら最初から大げさにトライ宣言すんな、ってことである。
・・・本当にすみません。
ご当地ゆるキャラ・企業キャラクター・自治体キャラクター等の経験を経た、タダのアラサー。それが今の私である。
この事実を報告する記事を書くことをためらう日々の中、
改めて自分のこれまでを振り替えってみたところ、人生の重大な脆弱性を見つけてしまった。
これまでの人生、(自ら宣言したことを含め)ほぼ何も成し遂げてない。ということである。
世の中は「あきらめなければ夢は叶う」という成功談にあふれている。
現実は、その裏に数十倍・数百倍もの「あきらめて夢が叶わなかったケース」が存在するのだろうが、表に取り沙汰されるのは当然ながら「夢が叶った」ケースのみであるからして、
「夢って、叶っちゃうんだぁ♡」という極めて素直な錯覚に陥るヒトも多いはずだ。というか残念ながら私だ。
いや、実際「あきらめなければ夢は叶う」ということは一点の曇もない事実なのだと思う。ただこの「あきらめなければ」というところを実現するためには根性・努力・意志の強さ・想いの強さ等々、精神も身体もひっくるめた、もうとにかく膨大な総合的能力が必要とされるわけであり、それがいわゆる「才能」なり「適正」と呼ばれるものなのだろう。
その一番重要な部分についての考慮・検証を全てすっ飛ばして「(あきらめなければ)夢が叶う」くらいの甘い認識で、あらゆる方向に第一歩を踏み出してしまう、というのが私のこれまでの行動パターンだった。
その結果、
何一つ
成し遂げていません。
↓(直近の人生概略図)
というわけで、単なるお恥ずかしい話なのだが、
成功談の裏で起こっている反面教師事象として認知していただければ幸いである。
そして、これからも人生の逆転を狙って色々チャレンジしていけたらと思う。
・・・生暖かく見守ってください。
R-1ぐらんぷりに出場してみた
あれは昨年の10月末だったか。
とある飲み会で、一人の可愛い女の子が唐突に、そして平然と言い放った。
「私、R-1ぐらんぷり出ますけど、え?みんな出ないんですか?」
それはまるで「え?夕飯食べないんですか?」というレベルのことを話しているような口ぶりであり、そんな当たり前のことを尋ねられては「え、食べますよ」と返答したくなるのが人間の性というものである。
そんな自然の摂理に逆らうことを知らない素直な私は素直に答えた。
「え、出ますよ。」と。
するとどうだろう。
その場で「じゃあネタ作りますよ」と言い出す猛者が現れ、数週間後には「ネタ作りましたよ」とファイルが送られてきて、「いつネタ合わせしますか」というスケジューリングが提示されて、あれよあれよという間に後に引けなくなったじゃあありませんか。
言葉の重みってやつを改めて実感する三十路の秋であった。
他人を巻き込んでしまったからにはやり遂げなければ、ということでまずは取り急ぎエントリー作業に着手。
ところがここで、エントリー時に写真の添付が必要であることを見落とす、というお約束のヘマをやらかし、エントリーシートを再提出してなんとかエントリー完了。
ネタについては、冒頭で語った飲み会時に「私、どんな格好でもするし、なんでもやりますよ」と軽率発言した結果、身体中にお経を書く耳なし芳一設定のネタをいただいた。
なんとも素晴らしい設定である。自分では思いつかない。
書いてもらったネタを色々と相談しながらこねくり回して、私のやりたいことなども取り入れながら整形した。
ネタの都合上衣装も出来合いのものでは要件を満たせないので、お裁縫を得意とする知人に衣装製作まで依頼して、気がつくと自ら引き返す道が見えなくなるところに突き進んでいた。
ネタの打ち合わせをしたりしながら過ごしているうちに年が明け、2014年の到来と共に1回戦本番の日が近づいてきて、公式サイトで出場者一覧が発表された。
するとどうだろう。
名前を知っている芸人さんが多々いる。
名前を知らない人でも大半が事務所所属である。(予想よりアマチュアが少ない)
早い日程で実施された一回戦の審査結果を見てみたら有名どころでも敗退している。
ノミの心臓の私にとって、ビビる要素しかないじゃあありませんか。
さらに言えば、書類不備(写真添付忘れ)で無効となったと思っていた最初のエントリーシートが受理されており、同日の同時間帯に私が2人エントリーされている。異なる芸名で、私が2人いる。
なんてこった、の嵐である。
ここで繰り出すのが、ダメ道秘技「思考停止」である。
とりあえず、前日くらいまではR-1周りの諸々について深く考えないようにした。
重複エントリーの件も、当日会場で事情を申し出てくれということだったので、それまでは放置。
平然と通常運転を続けた。
しかし無情にも「前日」は私のもとに爆速でやってきた。
前日は誘ってくれた可愛い女の子の一回戦があったので、応援に行った。
彼女は全く動じておらず、堂々としていた。メンタルの強さ、醸し出す"ならでは"の世界観、すごかった。さすが「夕飯を食べる」レベルの感覚で「R-1に出る」と言い放つ逸材である。
私もがんばらなきゃ・・・と思いつつ、他の出場者でスベリ倒している人もいたりして少しホッとした面もあった。
ホッとしたはずだったのだが、家に帰って翌日の本番に必要なものを揃えていたりしたら、もうドキドキが止まらない。
ドキドキプリキュアのしわざかと思うほどに胸のドキドキが止まらない。
このタイミングで、エントリーしたことを深く後悔しはじめる。
頭とお腹が痛くなって、布団に入っても原因不明の寒気で震えが止まらない。
プロから見れば「ひやかし参加」に他ならない出場経緯だったが、やっぱりどこかで「せっかく出るならいい結果を出したい」という想いがずっとあったのだと思う。
世界中の誰も何も期待していないのに、異常なまでの自己プレッシャーを感じていた。
そして当日。
朝、身体中(顔以外)にお経を書いて準備。何度か練習していざ出発。
会場についたら、まず重複エントリーされている事情を説明した。
出場順は当日までわからないので、2つのエントリーのうち順番がイイ方を選ばせてもらおうと思っていたのだが、名義①はその日のトップバッター、名義②はテレビでよく見る有名な芸人さんの直後、というまさかの八方塞がり。
そういえば2014年、本厄だったわ。てへ。
ということで、トップバッターはさすがにお客さんも全然いなくて厳しいので名義②で芸人さんの直後に出ることを選択した。
狭い控え場所で、着替えて、顔にお経を書いて、あとはひたすら「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」とブツクサ台詞を繰り返した。
出演順に並んで舞台裏にスタンバってるときも、ずーっと南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏言ってたけど、私の直前の芸人さんも同じようにずーーっとブツブツ練習していた。
ド素人の私と、テレビに出てる彼。
同じ立ち位置にいるという状況に、なんだか不思議な気分になった。とても貴重で感慨深い経験だった。
そして自分の出番。
もうね、とにかく緊張した。それだけ。なんかわけわからんうちにあっという間に終わっちゃった。
最低限、台詞やネタをとちらず飛ばさず出来たことが御の字だった。
少しだけだけど、笑いをとることもできて、少しだけ気持ちよかった。
結果は当然ながら1回戦敗退だった。
それでいい、それが当たり前だと思って挑んだはずだったのに、なんだか思った以上に悔しかった。
誰でも出られるR-1。当初は友人への話のネタになれば、というくらいの想いだったが、プロと同じ舞台に立てるというこの貴重な機会から得られる経験値は、間違いなくはぐれメタル級だった。
誘ってくれた友人、ネタを書いてくれた友人、衣装を作ってくれた友人、協力してくれた家族に深く感謝したい。みんなみんな、ありがとうございました。
次はもっとがんばりたい。
プリキュアを目指してみるも、挫折しつつあった話
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!注意!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
本エントリは、幼児・児童の夢を壊す可能性を孕んでおります。お子様の目の届かないところで閲覧ください。
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
プリキュアを目指し始めて、2ヶ月半くらい経っただろうか。
(過去エントリ:「プリキュアを目指してみる話」 http://t01545mh.hatenablog.com/entry/2013/03/13/233548 http://t01545mh.hatenablog.com/entry/2013/03/30/110320)
少し前に、スマイルプリキュア!の2人と一緒に仕事をさせてもらう機会をもらった。
彼女たちの握手会のスタッフの仕事だったのだが、その日、初めて彼女たちの仕事ぶりを間近で見た私は、なんだかものすごい挫折感を感じた。
ローラっぽく言えば、「ん〜〜。ムリっぽい!」と思った。
明確な理由は上手く説明できないが、
ヒーローであり続けるプレッシャーに耐えなければならない精神面での不安、懲悪活動への体力面での不安、その他諸々のウラ事情的不安がミルフィーユのように積み重なって生じた感情だったのだと思う。
そして何より、時間的制約も大きかった。
・・・少し話が遡るが、3ヶ月ほど続いたニート生活には副作用があった。
有り余る時間を持て余す生活の中で、「時間って、無限じゃね?」という錯覚に陥っていたのだ。
それは、刹那的には真だったが、永劫的は偽であった。
副作用が進行した結果、今、私は、フルタイムで働きながらプリキュアを目指しつつ、専門学校的なやつに2つ通っている。
多くの精力的な人々と異なり、元来ミミズの涙ほどのキャパシティしかない私が、よくぞここまで勘違いしたもんだ、と人間の神秘には感嘆してしまう。
みなさんも副作用には気をつけていただきたい。
そんな状況もあって、一人前のプリキュアになるまでの距離の長さを実感して、それを埋められる自信を完全に失ってしまっていた。
正直な話、プリキュア続報楽しみにしてくれてる方々ごめんなさいごめんなさい、と唱えながら毎晩床についていた。
そんな日々が数週間続いた後、事務所からある機会をもらった。
某企業の黄色くて丸くてゆるい感じのキャラクターになる機会である。
ドキドキした。私にできるのか、と。
でも、何事も一度はやってみないと。と、受諾した。
当日は、ボロボロになること覚悟で挑んだ。
するとどうだろう。可愛い子どもたちが、逆にこちらをカワイイカワイイと言って愛でてくれる。(まあ愛で方は色々あるのだけれど。)
そりゃもう、私ったら、カワイイ区の区長になれちゃうのでは、と思っちゃうほどに。
まさに「人気者」っていうやつだった。
大きな失敗もなく、初めてにしては・・・とポジティブなコメントももらえた。
体力的にはキツイけれど、楽しかった。
大学・大学院と研究に没頭し、システムエンジニアになってPCとにらめっこしていた私が、齢30にして黄色くて丸いやつになった。
なかなか乙な人生だ。
プリキュアを目指す不安が、少しだけ解消された気がした。
プリキュアになれるかは、わからない。もしかしたら実現可能性は低い。
ただ、完全に区切りをつけるのは、本当にもうちょっとだけ待ってみます。
バッドエンドだったらすんまーそんぐらいたー。
プリキュアを目指して四苦八苦している話
ブログの更新が滞ってしまった。
先月頭からプリキュアを目指して活動を開始したが、想像通り、そうポンポンと事が進むはずもなく、ブログに書ける進展もないままに、今日という日を迎えてしまった。
思えば、私は思春期の頃からいろんな夢を抱いては、明後日の方向にその一歩を踏み出し、数cmの前進もままならずに撤退してきた。
テレビ中継されていたバレーボールにハマって、バレーボール選手になろうと思ったことがあった。
それにはまず、身長を伸ばさないと!と思った私は、にぼしを大量に買い込んで牛乳と共に食べた。
さらに、自宅で暇な時間に意味もなくジャンプを繰り返した。
一方、時期を同じくして体育の授業で実施されたバレーボールのテスト「オーバーハンドトスを一人で10回繰り返す」「アンダーハンドトスを一人で10回繰り返す」では、何度も何度も追試となった挙句、結局おなさけで合格にしてもらっていた。
それでも私はにぼしと牛乳とジャンプで夢をつないでいた。
誰もが力の入れどころが違うと思うところを、突っ込まなかった親の愛は深い。
母に連れて行ってもらった宝塚歌劇にハマって、タカラジェンヌを目指そうと思ったこともあった。
宝塚と言えば、フィナーレでスターが大階段から降りてくるのがお約束。高所恐怖症の私にとって、あの大階段を足元を見ずに客席に視線を向けて降りることは至難の業に思えた。
まずはここを克服だ!と思った私は、学校、自宅のあらゆる階段でなるべく足元を見ずに降りる練習を始めた。
宝塚歌劇の入団テストは歌・ダンス・面接(容姿)であり、皆受験のための非常に厳しいレッスンを受けてやってくる。
歌ダンスともに未経験だった私がまず着手した「階段を降りる練習」は、力の入れどころが一周回って鋭い気さえする。
そんなこんなで非現実的な夢を抱いて思春期を過ごしてきた私だが、さすがに三十路となった今では違う。
プリキュアになろうとして、ヒーローショーの事務所に登録する、という正しい方向での一歩を踏み出せており、目的地に繋がる道のりを少しずつだが前進してはいると思う。
人間、15年も経てば成長するもんである。
しかし、そうハイスピードでは進めないことを改めて痛感している次第である。
稽古で、一度だけキュアハートをやらせてもらった。
ダンスについてはメンバーの中でもそんなにヒケをとらないと思っていたし、この稽古でがんばりを見せられればオファーにつながるかも!と思って気合十分だった。
が、現実は、殺陣で撃沈だった。
手刀で敵にかかって行ってかわされる、という所作では、私の姿はどう見て道頓堀で輝くグリコのゴールインマーク。やたら浮かれた感じでジコチュー通り越して去っていくっていうね。ひとつぶ300メートル!つってね。クールなキュアソードもビックリですわ。
二段蹴りというやつをキメてやろうとしてみた際には、私の姿はどう見ても逆上がり練習中。おしりが重くてあがらないーってね。足バタバタさせてね。ジコチューが補助してくれるん寸前ですわ。
さらにダメ押しなのが、攻撃音と攻撃所作のタイミングが合わない。あれ 音が 遅れて聞こえるよ つって、いっこく堂の腹話術をむしろ全身で表現しちゃうっていうね。誰も期待していないエンターテインメントを披露ですわ。
殺陣って、難しい。
そんなこんなで四苦八苦しているうちに、GW前は稽古がAPManまつりになり、
練習してたK丼Manあたりのオファーに期待したもののそれも叶わず、
現在に至っております。
でもまだもう少し、あきらめません。
キャラを人気者にするために試行錯誤する話
少し前に、私がこのブログの最初のエントリで描いた絵のステッカーを作った。
(↓この絵)
あろうことか500枚作った。
〜これは、ちょっとした見積もりの誤算により発生したステッカー在庫過多を打破するため、なんとかこの絵を人気者にしようと奮闘する物語である 〜
まず、私はこの絵をハローワークの公式ゆるキャラに認定してもらうことを思いついた。
超いいアイデアだと思ったし、成功イメトレもバッチリだったので、意気揚々と厚生労働省にご提案メールを書いたが、返信はなかった。
前エントリでこの状況を「無視された」と記載したがここに大きな誤りがあったのでお詫びと共に訂正したい。
返信がないことに消沈しながら厚生労働省の問い合わせフォームを何の気なしに見返していたところ、
ん?
『皆さまからの「ご意見・ご要望」に対しては、原則として回答はいたしませんが』
なんだ〜い。 原則として、回答、ないんか〜い!
ということで無視ではなく、原則的な対応を取っていただいていた。大変失礼つかまつった。
しかし、あとに残るはなんとも言えない空振り感。これではまるで風車に戦いを挑むドン・キホーテだ。
このまま引き下がるわけにはいかない!こともない!
厚生労働省という大きすぎる相手に挑むことはきっぱり諦めて、もっと現実的な方針に転換することにした。
さて、キャラクターを人気者にする手段として次に思いついたのは、
そう、今流行の、キャラ弁。
身近なことからコツコツと。ということでキャラ弁を作って(広義の)女子たちの
「なにこれ〜、ウケる〜!」「うへぇ〜、かわい〜!」から認知度を少しずつ広めていこうという作戦である。
おもしろ可愛く作ってレシピサイトにアップしよう。
「求職活動のお供に!ランチ代節約☆」「思わずニヤリとしてしまうユルさが、疲れた心を癒します♡」という感じの見出しをつけよう。
「輪郭に定形がないので、ぶきっちょさんでも簡単キャラ弁♪」を謳い文句にしよう。
・・・プランがどんどん頭のなかで広がっていった。
そしてプランが熟成しきった今夜、いよいよ実行の時が来た。
準備する材料は、白米、昆布、黒ゴマ、以上。シンプルイズベスト。
いざ取り掛かろうとしたその時、我が家には弁当箱なるものが存在しないことに気づく。
そりゃそうだ、過去から現在に至るまで、お弁当を作る婦人力を私は獲得できていない。
仕方ないので食料保存用のタッパーを引っ張り出し、気を取り直していざ着手。
イメージの中では「ぶきっちょさんでも簡単♪」がウリになるはずのキャラ弁だったが、ぶきっちょさんに想定外の苦労が待っていた。
食材たちは思うように並んでくれないし、作業の細かさがパない。
小一時間格闘した結果、やっと完成した。
こだわりポイントは、黒ゴマの使いドコロ。
いくらないんでも昆布だけじゃお弁当として味気ないよね、という配慮から、目、手のひら、足のひらは黒ゴマで作ることイメージで材料を調達した。
しかしどうやら、自分がゴマの大きさを買いかぶりすぎていたらしいことに作業途中で気づく。
ゴマ一粒=手のひら、足のひら、目
にしようとしたら、とんでもはっぷん、おっぺけぺー。
ゴマって、こんなに小さかったんですね・・・と、涙目でゴマの塊を作ろうとするも、
ぶきっちょさんには余りある細かな作業となり癇癪を起こす寸前でフィニッシュ。
先の写真の手先足先に、その苦労の痕跡を見て取っていただけるのではないだろうか。
でも目はやりきったょ!
この渾身のキャラ弁の出来をまじまじ眺め、私は重大な決断を下した。
レシピサイトにアップするのは自重します!!!!!!!!!!
(その後、このお弁当は美味しくいただきました。)