その後の人生に影響を与えた大学受験の話

大学受験の時、私は第一志望の大学に落ちた。

 

自覚していたよりもその大学に行きたいという想いが強かったらしく、落ちたときのショックといったら自分でもビックリするほどだった。

合格発表の掲示板の前で泣いた。帰り道の駅では、ベンチに座っておいおい泣いた。

そして、自宅についてもまだ泣いていた。

 

人生で初めて経験すると言っても過言ではない大きな悔しさと悲しさがあふれる中、帰宅して私がまず着手したことは、ジグゾーパズルだった。

500ピースのくまのプーさんのジグゾーパズルだった。

意味不明である。

 

とにかく何かに取り憑かれたようにジグゾーパズルに打ち込んだ。

ご飯の時間になっても手を止めずに続けた。

姉が見かねて、「一緒にやっていい?」と声をかけてくれた時、私はこう言った。

 

「手を貸さないでほしい。私はこのパズルを一人でやりとげなければならない。これをやり遂げた時、何かが変わる気がするんだ」と。

 

念を押すようだが、本当にこう言った。

当時の私は大真面目である。心底から出た言葉である。

「これをやり遂げれば何かが変わる気がする」

・・・やってることはジグゾーパズル。くまのプーさんの。ただ遊んでるだけだ。

 

多感な年頃で、気分は悲劇のヒロインだったんだろう。完全に自業自得の悲劇だけど。

とにもかくにも、この時、姉をはじめとする家族が誰一人吹き出さなかった点には深い愛を感じる。家族とは尊いものである。

 

そんなこんなで、無事500ピースのジグゾーパズルは完成した。(そりゃ、時間をかければ誰でも完成できる)

パズルが完成した後、満足した私は、あっさり第一志望の大学を諦めて他の大学に入学することにした。

何も変わってなかった。強いて言えば、気が変わった。

 

さて、春が来て、大学に入学し、新しくできた友人たちと楽しいキャンパスライフを送っていた私だが、学業の面で何か物足りないものを感じ始めていた。

第一志望だった大学は、「この研究室に入りたい」という具体的な希望まであったから、その分野への未練が、今更というタイミングでタラタラ流れてきた。

 

そんなとき、本屋に立ち寄った際に何の気なしに大学入試案内を手にとってパラパラめくってみたら、第一志望だった大学では9月入学という制度があることが発覚した。(ただし、入試形式はAO入試のみ)

9月に入学できるとなると、今通っている大学の学費の無駄も少なくて済むし、時間のロスも少ない、と思った私は、ダメ元で、かつ、ダメ元なので親に内緒で、受験する準備を始めた。受験料も自分で用意した。

AO入試は通常、高校時代までの自分の大きな成果や"ウリ"(生徒会長やってたとか、スポーツで全国大会出たとか)をアピールして合格を狙う制度だが、私には何もウリがなかった。だから合格する可能性はほぼゼロに近いと思っていた。それでもやってみるだけやってみよう、と思った。そして、これがダメなら諦めようと思った。

(願書で選択しなければならなかったアピールポイントとしては「高校の成績が極めてよかった」という、自称なら誰でも言える項目を選んだ。)

 

あの時の意志の強さと行動力の膨張っぷりは、まさにバブルだった。

 

願書+論文などの書類審査用資料の送付時は、当時銀行が15:00に閉まることを知らないアホだっために、あわや必着締切に間に合わなくなる修羅場を乗り越え、

(15:00過ぎてから銀行に行って、外にいた銀行員に「人生がかかってるんです!」と泣きついたりしたなぁ。当然取り合ってもらえなかったけど。)

面接では「人間の生活を豊かにするために・・・」と喋り出した途端に「なんで人間の生活を豊かにする必要あるの?それって人間のエゴじゃないの?」と切り返される圧迫を乗り越え、

諸々がんばった結果、奇跡的に合格したのである。英語で言うと、ミラクルというやつだ。

というわけで、9月にめでたく希望の大学に入学した。  

 

人間、チャレンジする前からあきらめてはいけない、やればできる(かもしれない)、という教訓を実体験したのだが、このやる気バブル時代の経験を忘れられず、やる気バブル崩壊後に色々血迷うことになる。

 

その話はまたいずれ。

 

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