これまでの職の話をしよう ーはじめてのアルバイトー

初めてのアルバイトはドトールコーヒーショップだった。

 

自分でお金を稼ぐことの喜びを知りつつも、ドリンク・フードの作り方を覚えたり、接客で気を遣ったり、常に大きな緊張感の中で仕事をしていた。

 

仕事にも少し慣れてきた頃、業務で失敗しないように、ということに加えて気がかりになってきたのがバイト仲間との人間関係だった。

人間関係で問題があったわけではないが、「打ち解けて仲良くしている」という状況には遠い感じがしていた。

バイト仲間には同年代の女の子が多かったのだが、モッサリした自分(小心者で行動より先に頭が動き、動作が遅くなるタイプ)とは異なる、バリバリ族(見るからに気が強くバリバリ仕事するタイプ)とフンワリ族(フンワリ天然系で怖いもの知らず)で構成されており、ただでさえ人見知りな私が馴染むには少々高めのハードルがあった。

色で例えるなら、黒と白で調和のとれたデザインの中に黄土色が混ざった感じの違和感だったと思う。

それでも、バイトライフを華やかにするためにもっとみんなと仲良くならねば!という想い強く、私は焦った。

 

そこで、自分なりにどうしたらよいか真剣に考えた。

そうして出した解が「ダジャレ」だった。

ダジャレを披露して「面白いやつだ」と思ってもらえれば距離が一気に縮まるに違いない、と。

そう気づいたら一直線、バイトの前日に夜なべして一生懸命とっておきのダジャレを考えた。

 

翌日、バイトの合間の15分休憩のときに休憩室にいたメンバーに、

「あの、私、ダジャレ考えたんで聞いてください」

と切り出した。

今思えば、この切り出し方がそもそもコミュ力の低さを物語っている。

そして満を持して披露した。

「ドトールを二度通る」

たぶんアルカイックドヤ顔をしていたと思う。

が、予想に反して失笑を買って終わったことは言うまでもない。

 

その一件から私は期せずして「不思議ちゃん」としての地位を確立した。

それを脱却しようともがいてもみたが、自分から話題を提供しようとすると、

「実は私、あごが外れそうなんです」

とか言ってしまい、不思議ちゃんポジションは日をおうごとに不動のものとなっていった。残念である。

 

そんな残念な状況が数ヶ月続いたのち、そろそろバイト辞めようかと考える時期がきた。

そこで新たな問題が発生する。小心者すぎて「辞める」と言い出せない。

散々悩んだが、どうしても言える気がしない。でも辞めたい。

 

そこで、自分なりにどうしたらよいか真剣に考えた。

そうして出した解が「便利屋」だった。

便利屋に頼めばなんとかしてくれるだろう、と。

そう気づいたら一直線、深夜、家族が寝静まってから電話帳を引っ張りだして、便利屋の連絡先を調べて携帯に登録した。翌日、日中に連絡しようと思った。

 

しかし後日になってやっぱりこれは間違っている、と便利屋に連絡するのは思いとどまった。

 今思えば、便利屋を利用しようと思いついただけで相当ダメだ。

 

そうこうしているうちに、バイトの仕事で足が蒸れたせいで、水虫をこじらせたような状況になり、足の平がパンパンに腫れて歩けなくなってバイトを辞めた。

水虫でバイトを辞める、という伝説的な辞め方で期せずして最後まで不思議ちゃんを貫いた形になった。

 

あれから10数年、会社を辞める勇気、という点だけは確実に成長したと思う。