草津旅行中に気づいたこと

学生時代の友人たちと草津に来ている。

温泉に入り、美味しい料理を食べて酒を飲み、友人たちとの談笑する、そんな幸せなひとときの中で、ふと、ごくごくどうでもいい新発見をしてしまった。

顎というのは人間が起きている間はほぼずっと重力に逆らっている。そんな顎を、時には重力になされるがままに開いてみると、なんともいえない気持ちよさがあるということだ。

自分を縛っているあらゆる慣習やしがらみから解き放たれたような感覚になる。今このとき、私は、自由だーーーー!という気分を味わえる。

思った以上のリラックス効果を得られる可能性があるので、疲れた時に、だまされたと思って試してみて欲しい。

 

ただし、人前では禁物です。極限にだらしない顔になりますので。

人は、週休三日により幸せになれる

神は、暇をもてあました遊びにより偶然天地を創造したもうた。

 

神は7日で、天地創造の事実を公表したもうた。

1日目、鋭気を養うため神は休息をとった。

2日目、神はまず概要を説明し、天地創造を成し得た背景を語った。

3日目、神は創造の手法と、その結果得られた"天地"がいかなるものかについて説明した。

4日目、 神は疲れたので休息をとった。

5日目、神は自らが創造した天地の今後の発展性を考察し、最後に、自身が置かれた恵まれた環境に感謝した。

6日目、神の成果が認められた。

7日目、神は自らの偉業を讃え、休息をとった。

神は、自身に似せて人を創りたもうたという。

神はおっしゃった。

「汝、暇を取れ。その時こそが真の創造性の源となるであろう」

さらに、神はおっしゃった。

「汝が物事を成し遂げんとするとき、7日のうち3日の休息をとり給へ。それこそが精神、肉体のすこやかさを実現し、幸福感と充足感に満たされた時を汝に齎すのである」

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かつて私が、仕事に鬱々として休日さえものびのびと過ごせずにいたとき、ベットに一筋の光が射し込んできた。雲の合間からたった一本だけ射すその光に −−−それはまるで私の元に来るために雲を押しのけたかのような光景であった−−−  私は神の声を聴いた気がした。

その光に導かれるように、私はそのときの職を辞した。その後、ありあまる時間のなかで暇をもてあまして3ヶ月が経とうとしたころ、私は、かの光を浴びたベッドの中で神の啓示を受けたのだ。それは夢をみているようでもあり、しかしただの夢ではないと確信できる、とても不思議な体験であった。

「人は、週休三日により幸福になれる。だって、そういう風に作ったから。」
これが啓示の核心であった。この神のお声をより多くの民に伝え、幸福に導かなければならない。その一心でここに『宗教三日』を立ち上げる。教えに共感し、真の幸福を目指す民の入信を大いに歓迎したい。

なお、我々宗教三日は、週休三日の取得が神のご意思によるもの(宗教上の理由)であり、信教の自由が保障された日本国において、いかなる場合も侵害されるべきではないことを主張していく所存である。

 

宗教三日 (@shukyo3kka) | Twitter

 

体調が不良になった

私 「体調!あなたどこ行くの!?こんな正月休み明けに!」

体調「うっせぇババァにはカンケーねー」

私 「あなた最近、ウィルスと付き合ってるんじゃないの?」

体調「オレが誰とつるもうがオレの勝手だろ!うぜぇんだよ」

私 「ちょっと、あなた、リンパに乗ってく気?」

体調「あ?だったらなんだってんだよ」

私 「腫れてるわよ。あなたが昨日乗ってから」

体調「ちっ」

私 「やっぱりウィルスと一緒だったのね!」

体調「・・・ショーカコーソ借りてくぜ」

私 「ちょっと待ちなさい!どこに行くかくらい言っていきなさい!」

体調「イチョーだよっ!!!!なんか文句あんのか!?あぁ??」

私 「胃腸・・・?まさかあなた・・・胃酸で食道逆走する気じゃ・・・」

体調「だったらどうだってんだよ!」

私 「さらには小腸ヘアピンでドリフト大会するんじゃないでしょうね!?」

体調「へっ。いいこと思いつくじゃねぇかババア」

私 「ねぇ、お願いだからやめて。あなたがそういうことする度に、私がどれだけ辛いかわかってるの?」

体調「しるか、んなもん」

私 「なんでそんなになったちゃったの・・・頭痛いわ・・・」

体調「それはよかったですねー(出ていく)」

私 「もういい!寝るからね!あなたがそういう態度とるなら、もう、安静にするからね!」

体調「・・・・・・(去っていく)」

 

早く更生しますように。

 

 

由紀さおり&安田祥子が好きだ

由紀さおり安田祥子の歌が好きだ。

年末からずっとGoogle play musicでエンドレスリピートしている。

ガラスのメンタルを癒す力が、マジ、パないのだ。真綿であり羽毛であり上質なシルクでありキズパワーパッドなのだ。

 

しかし近年、この歌声に触れることのないまま生きている若人が増えているのではないかと危惧している。

2人は姉妹で、童謡や唱歌を中心に声のハーモニーを奏でているが、童謡なんて、と思う方にも一度でいいから聞いていただきたいのはやはり2人の歌う「トルコ行進曲」だ。

モーツァルトトルコ行進曲スキャットで歌ったものである。

スキャットについて全く知識のない私の凡庸な感想ではあるが、その擬音の種類の豊富さがすごい。そこら辺の「日本酒各種取り揃えてます!」と謳っている居酒屋の酒の種類など目ではない。多数の擬音を駆使し、表情豊かに声で表現された『トルコ行進曲』には、「歌上手いな〜」を飛び越えて思わず「いい音出すなぁ〜」という感嘆が漏れ出してしまう。

 

どうやら詞はPublic Domain のようだったので、夜中にひとり、必死で聞き取った歌詞を以下に書き出してみたいと思う。ハモリパートを正確に聞き取ることが難しく力尽きたため、メロディーラインのみで失礼する。

※あくまで私の耳で聞き取ったものなので、他所の記述とは異なる場合があります。

※語学等でも聞き取りが苦手な方なので、明らかな誤りがあったらすみません。

 

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ティアララルン ティアララルン ティアララ ティアララ ティアララルン

トゥトゥトゥリィヤタッタ トゥリィヤタッタ トゥリィヤタッタッタ

 

ティアララルン ティアララルン ティアララ ティアララ ティアララルン

トゥトゥトゥリィヤタッタ トゥリィヤタッタ トゥリィヤタッタッタ

 

ティパッタッパ ティパタパタッパ ティッパタッパ タパタパティ

ティパッタッパ ティパタパタッパ ティッパタッパ タパタパティ

 

ティアララルン ティアララルン ティアララ ティアララ ティアララルン

ティパッティパティパティパティパ ティーリーラー

 

ティパッタッパ ティパタパタッパ ティッパタッパ タパタパティ

ティパッタッパ ティパタパタッパ ティッパタッパ タパタパティ

 

ティアララルン ティアララルン ティアララ ティアララ ティアララルン

ティパッティパティパティパティパ ティーリーラー

  

ラッパッパー ラッパパヤパッパ パヤパッパパヤ

ラッパッパ― ラッパパヤパッパ パヤパッパパパ

 

ラッパッパー ラッパパヤパッパ パヤパッパパヤ

ラッパッパ― ラッパパヤパッパ パヤパッパパパ

 

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラーバ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラーバ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラ

スタバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバ

 

ヤンパンパー ヤンパヤパンパ パヤパッパパヤ

ラッパッパー ラッパパヤパッパ パヤパッパパパ

 

スタバラバラー ラバラバラバラバラバラバ ラバラバラバラバラバラバ

スタバラバラー ラバラバラバラバラバラバ ラバラバラバラバラバラー

 

ヤンッパパー パー スタバラバラバラバラー ティティティティティー

ヤンッパー パー スタバラバラバラバラー ヤー ティティティティティ

 

シングリー リー ティリリリリリリリリー ティティティティティー

ヤンッパー パー スタバラバラバラバラー ヤー ティティティティティ

 

パパ パパ パパ パパ パパ パン パーーーーーン

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いかがだろうか。

冒頭、「ティアララルン」という、プリキュアの呪文かと見紛うほどにかわいらしい女の子的擬音から始まったと思いきや、その後の怒涛のゲシュタルト崩壊に次ぐゲシュタルト崩壊

もはやバラバラバラバラという文字の羅列が、人の顔に見えてくる。それも、なんかもうすっごい笑ってる人の顔。

とにもかくにも、文字で読む曲ではないことがおわかりいただけたのではないだろうか。

 

もし機会があれば、聞いてみてください。

由紀さおり安田祥子トルコ行進曲

 

スタバは油断するとやられるので気をつけた方がいい

新しい年も3日ほど過ぎ、明日から仕事始めという方も多いだろう。私もそうだ。

このタイミングで唐突に昨年を振り返ると、私は昨年、結構スターバックスに行った。知人にスタバカードをいただいたことなどもあり、スタバに通う頻度が例年の平均を大幅に上回った一年だった。

そんな昨年の経験値から私が諸君に言い残せることがあるとすれば、あそこはチェーン店だと思って油断してると、一流の腕でもてなしてくる店員がいるから気をつけろ。ということだ。

 

以下に具体的な注意事項を述べる。

まず第一に気をつけるべきは目である。

一流の腕をもつ彼らはものすごくこちらの目を見る。目を見て会話をするというのはコミュニケーションの基本だし、多くの接客業で実行されていることだと思うのだが、彼らは何かが違う。なぜだろう。彼らの視線は、業務としての義務的なそれの域を越えていて、「え、私にそんなに興味ある?」と思わせるのだ。

私なんぞ、初対面でそんなに興味深げに顔を見られる経験は、駅構内であくび顔を見知らぬおじさんに見られた時くらいしかない。その時はちょうど改札を通っているタイミングで、SUICAに気を取られてあくび時に口を手で抑えるマナーを守れなかった私にも大きな落ち度があるのだが、そのおじさんはその後、改札からホームまでの短い道のりで4回私の方を振り返り、私の顔を見直していた。2度ならまだしも、4度って。4度見って。

話が逸れたが、とにかくそれくらい経験不足の私なので、スタバの店員さんの視線にはドギマギさせられる。思わず「僕と契約して専属バリスタになってよ」と言ってしまいそうになるほどのドギマギだ。あ、それはまどマギか。

とにかく目は気をつけろ。と言っておきたい。油断すると、心を撃ち抜かれるぞ。

 

次に、会話だ。

あれは11月だったか12月だったか。すごく寒い日となんだか温かい日を行ったり来たりするような天候が続いていたころだったと思う。その日は久しぶりにすごく寒くなった日で、シンシンと冷えた空気に包まれた夜だった。私がスタバでホットのスターバックスラテを注文すると、レジの店員さんが「今日は寒いですね」と声をかけてくれた。その瞬間、美容室などで美容師さんと話すのも苦手な私の体幹に、ピキッと緊張の稲妻が走る。気の利いた答えを返してこの店員と客の小洒落た会話を成功させなきゃ、という不必要な使命感が燃え始める。「そうですね」ととりあえず一言答えながら、脳みそを高速回転させてそれに続ける言葉を探し始める。

「雪が降りそうですね」いや、そんな予報は出てないし適当なことを言って混乱を招いてもな。

「空気の冷たさが鋭くて、肌をつんざくようですね」いやいや、ツンドラかっ。

「冬ですからね」いやいやいや、喧嘩売りたいのか私は。

などとシミュレーションしてる間に、店員さんの方が次の言葉を発した。「ラテのミルク、温めることもできますけど温めますか?」

その瞬間、私の心に南風が吹き、すべての思考を吹き飛ばす。そうか、この提案のための「寒いですね」だったのか、と全てを悟る。彼が発した何気ない日常会話は、決してこちらにコミュニケーションを強要するものではなく、寒いと感じている客に対するサービスの提案だったのだ。

もしこれが、単刀直入な「ミルク温めますか?」の一言だけだったとしたら、私はそれをマニュアル的な発言としか感じなかっただろう。ふーんスタバって、冬はそういうサービスしてるのね〜くらいにしか思わなかっただろう。

しかし「今日は寒いですね」「そうですね」のやり取りがついただけで、それはまるで、1日に1組しか客をとらないオーベルジュで熟練の老紳士が私にカスタマイズされたもてなしを提供してくれているような、そんな暖かく贅沢な気持ちにさせられたのだ。(実際の店員さんは若いのだが)

とにもかくにも、油断するとヤツはとんでもないものを盗んでいく。気をつけるべし。

 

そして最後に、気配りだ。

前述の「寒いですね」事変と同じ日、スターバックスラテを受け取るときに私は、レジでもらったレシートを後で捨てようと思ってグチャッと丸めて握っていた。

するとラテを作って渡してくれた店員さんが「捨てましょうか」と言って手を出すではないか。私は最初、何のことをいっているのかすぐに理解ができなかった。レシートのことだった。

なんてことだ。その時、ドリンク作製担当のその店員さんは、たくさん注文が入って忙しそうな時間帯だった。それなのに私がレシートを不要なものとして持っていることを察知して、わざわざ捨て代行を申し出てくれたのだ。私だって、振り返ればすぐゴミ箱がある位置にいたというのに。

それって普通に考えてアレやろ!気になってる相手にするレベルの気遣いやろーー!!!

興奮して似非関西弁も出てくるってものだ。

 

おわかりいただけただろうか。

どこでデューク東郷が狙っているかわからない。それがスタバだ。諸君も決して油断せず、十分注意してスタバを楽しんでほしい。

もし昔話のおじいさんおばあさんが私たち夫婦だったら

〜桃太郎編〜

夫が家でデレステに夢中になっているころ、私は洗濯機で洗濯&乾燥をスタートさせると、痩せるためにちょっと運動してくると言って家を出た。

しかし家を出て数分後、早くも諸々が億劫になった私は、橋の上から川をボーッと眺めて時間をつぶしていた。

川を眺めて15分ほど経った頃だったろうか、驚いたことに、川上から大きな桃が流れてきたではないか。私はすぐさま家に飛び帰って、夫に報告した。

「ねえねえ聞いて!今ね!目黒川に、ドンブラコっつって!流れてきた!」

「なにドンブラコって。また新しい流行語考えたの?」

たしかに私は流行語を考えるのが趣味だ。だが今回はそういうことではない。

「違う、桃!めっちゃ大きい桃が川に流れてきた!」

「大きいかどうかは基準によるね」

そうだった。具体性のない形容詞は夫には通用しない。

「普通の桃の20倍くらいあるやつ!」

「普通って一口に言っても、人によって思い浮かべる大きさは違うんじゃない? ってかキミは運動しに行ったんじゃなかったの?」

この際、運動のくだりはスルーだ。

「生まれたばかりの人間の赤ん坊が中に入りそうなくらいの大きさの桃だった!」

「なるほど、それは大きいね」

やっとわかってもらえた私は、さらに興奮して続ける。

「ねぇ、その桃を持って帰ってきたらさ!なんかいいことあるかもじゃない?もしかしたら中になんか貴重なもの入ってるかも!」

「仮定で話をしてもあまり意味があるとは思わないね」

夫はいつだって冷静で知性的だ。

「でもさ、あの大きさだけでも相当珍しいし!試しに拾ってみる価値はあるよね!?」

「さあ、どうかな。危険なことがないとも言い切れないし。大体キミは、そういう大きな桃についてちゃんと勉強したことがあるの?」

「え・・・いや、大きな桃の勉強したことはないけど・・・」

「じゃあまずは本読むところから始めるべきじゃない? はい(アマゾンのトップページを差し出す)」

「え、あ、うん・・・でも大きな桃に関する本なんてあるのかな・・・」

「実物が存在するなら高確率で本もあるでしょ。そうでなければ“大きな果物”とか少し括りを大きくして探してみるとかでもいいかもね」

「はい・・・」

私はしぶしぶアマゾンで本の検索を始めるが、先ほど川を流れていた桃が頭から離れない。

「ねえ、じゃあさ、写真だけでも撮りにいかない?あんなの中々出会えないし、きっと面白い写真になるよ」

写真は夫と私の共通の趣味だ。

「それはいい考えだね。じゃあレンズは中望遠にしようかな。いやもしかしたら広角のほうが面白いかな・・・」

夫が乗り気になって答える。上手くいった。実物を目前にすれば夫だって興奮せずにはおるまい。なんだかんだ10分ほどかけて出かける準備をすると、2人で家を出た。

「絶っっっっ対びっくりするよ!たぶん私にひれ伏すことになるね!」

私は夫に向かってドヤ顔で言う。

しかし数分後、橋の上にたどり着いたとき、もうそこに桃の姿はなかった。

「どこ?」

夫が私に問う。私は死力を尽くして、というより、視力を尽くして探す。が、見つからない。

「きっともう流れて行っちゃったんだ。さっきはホントにあったんだから!ホントだよ!!」

私が必死に訴えかけると、夫は優しく微笑んで頭をポンポンと叩く。

「わかったわかった」

信じてないな、と思いながらも私はそれ以上主張を証明する術を持たず、黙り込んだ。

 

「家でアニメ見よっか」

と夫が言う。

「うん!」

と答えて、2人並んで家に帰った。

 

めでたしめでたし 

私が神になる瞬間

皆さんは大腸菌のコロニーをピックしたことがあるだろうか。

私は縁あって、去年の後半ころから、仕事でちょいちょいピックするようになった。

とにかく雑に説明すると、↓の絵の、たくさんの点々の中から任意でいくつかの点を選び、爪楊枝でつつくのだ。

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(「大腸菌」という言葉にあまりよいイメージを持たない方もいると思うので、以降は便宜的にcoliちゃんと呼ぶことにする)

丸い培地の中に存在する点々のひとつひとつがcoliちゃんの塊なのだが、なぜそいつを爪楊枝でつつくかというと、多くの場合、そのcoliちゃんが持っている「ちいさなメダル」が欲しいからである。

 

この無数のcoliちゃんからいくつかを選択するという作業をするとき、私は、この丸い「培地」という世界において神のような存在となっているのだな、と感じる。

私に選ばれた者と、選ばれなかった者、どっちのcoliちゃんのほうが幸せなのだろうか、と考える。

 

選ばれた者は、細胞をこじあけられて中からちいさなメダルを取り出される。

選ばれなかった者は、そのまま培地の上で放っておかれ、いつか火葬(仮)される。

 

長生きできるのは後者かもしれない。不自然な圧力に晒されることもなく、ゆったりマイペースに天寿を全うできるのかもしれない。

一方前者は、苦難の道を歩むことになるが、自分の中にあるちいさなメダルという価値を提供することはできる。

 

ゆったり自分のペースで天寿を全うする人生か、価値を生み出すために身を削る人生か・・・

今の社会では後者こそ幸せという論が多いような気もするが、みんながみんなそうというわけでもないだろう。

 

とにもかくにも、私のcoliちゃん選抜は、彼らの人生、もとい菌生を大きく左右する選択というわけだ。

さあ、どうしよう。悩む。

彼らは自己主張をしない。どっちがいいと、言ってくれない。私が一方的に決定権を持っているのだ。そんな重大な決断を、私が、この爪楊枝一本でしてしまっていいのだろうか・・・

 

そんなときふっと冷静で冷血な自分が降りてくるのだ。

「脳のない生物に、幸せもクソもないのでは?」

 

新しい年も、私は爪楊枝で神になる。

 

 

今年も宜しくお願いします。