芝居に出ることになった話

突然だが、この度、知人の劇団の芝居に出演することになった。

なんでそんなことになったかというと、

オポチュニティオポチュニティしたからである!(ドヤッ)

 

(“オポチュニティオポチュニティする” とは一種の流行語である⇒

流行語大賞を狙って2年が経った - ニートザッカーバーグのよくすべる話

 

ある日LINEの吹き出しに乗ってやってきた「今度、お芝居出てみませんか?」という奇特なお誘いに「はいよろこんで〜」と、居酒屋バイトなみのお気楽なお返事をしたのが昨年の10月ころ。

あれから、あれよあれよと言う間に1年が経とうとし、ただいま、本番まで1週間ちょっとという窮地に立たされている。

 

出演させていただくお芝居はこちら↓

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(↑「ニートザッカーバーグ」という名前が書いてある。この名前が紙媒体に掲載される日がくるなんて)

 

さて、自称「Ms.安請け合い」の異名を誇る私。我ながら、今回も見事な安請け合いをキメた。自身では、よく考えて決定したつもりだったところが、もはや自分の安請け合いの“美しさ”だとさえ思える。

 

どう安請け合いだったかって、話は単純明快、私には演技経験が足りなかった。

参加させていただく劇団は社会人劇団とはいえ、旗揚げから15年という長い年月活動を続けている歴史も実績もある団体。(前回公演は客として観に行ったのだが、大変おもしろかった)

“小学生”を6年間続けたことが人生最長の継続経験であるほど「継続は苦手なり」な私にとっては、黒柳徹子のごとく偉大な存在の劇団である。

どう考えても、素人が徹子の部屋に入っていいはずがない。

しかしそこは、憧れの空間であることもまた間違いない。

無駄に「中学の時(超弱小)演劇部員だった」という超絶中途半端な事実があったことが、私の心に愚かなる“慢心”を産み、恐る恐るながらも、お部屋の扉を開いてしまったのだった。

 

実際稽古が始まってみると、慢心はものの5分で崩れ去り、自身の類まれなる“安請け合い”の才能を自覚した。某トーークの“徹子の部屋芸人”で聴いた噂通り、オープニングから難関だった。まずもって、超基本的なところで、声の大きさが足りない。

思えば社会人になってからの私は、上司の席に近づいて「すみません」と声をかけても気付いてもらえず、「お!なんだ!そこにいたの!?ビックリした〜」と、無為ドッキリを仕掛けることが日常茶飯事だった。

正面から顔を見て話しかけているのに「え?もしかしてなんか喋ってます?」と言われたことさえ、1度や2度ではすまない。

つまり、50cmくらいの距離でも気づかれないほどの存在感と声の大きさで生きているのがここ数年の私だった。ついこの間と思っていた(超弱小)演劇部の記憶は、気がつけばもう、20年近く前の遠い遠い過去の存在になっていた。

 

そんな頭痛の種のような状態からスタートした稽古。ところが劇団員のみなさんは温かく、親しみを込めて「ニートさん」と呼んでくださり、丁寧にいろいろと教えてくれた。

そして演出家の方も、なかなか出来ない私に対して諦めずに「ニートさんの課題はね」と根気強くダメ出し・指導をしてくれる。

ニートの課題といえば働いていないということに尽きるのではないのか。否、ここでは違う。声の出し方であり、キャラクターの作り方であり、セリフへの気持ちの乗せ方なのだ。

自分自身は課題だらけだったけど、まっさらな状態から芝居がだんだんと出来上がっていく過程を体感するのが本当に面白くて、(全てはメンバーのみなさんのおかげなのだけど)なんだか稽古が楽しくて仕方がなかったから、とにかく前向きに取り組むことだけはできた。

とんねるずバリに“みなさんのおかげ”を実感しつつ、少しずつ、少しずつ前進してくることができた気がする数ヶ月。そしてウソであって欲しいけど間もなくやってくる本番。とにかく憧れの徹子の部屋の空間を壊さないよう、ニートさんの名にかけて、やりきるしかないところまでやってきた。

 

※注:実際の芝居(劇団)と、黒柳徹子および徹子の部屋は一切関係ありません。

 

さあ、本番まであと1週間ちょっと。50cmの世界で生きていた私が、客席から、存在に気付いてもらえるのか・・・

続きはリアルで! ↓

 

theatre project BRIDGE vol.14
『ザ・ロング・アンド・ワインディング・労働』
シアターグリーン BOX in BOX THEATER

10/10(土)14:00 / 19:00
10/11(日)14:00 
10/12(月祝)14:00
※開場は開演の30分前です

 

詳細はコチラ▼

http://www.t-p-b.com/

 

あんなに魅惑的なチラシなのに、テーマは『労働』だょ♡

みんな、観に来てね!

 

その時、歴史が動いた話

高校のときの話である。

 

私は花形だった吹奏楽部に入った。

オーディションなどの過程を経て、パートは"オーボエ"という楽器に決まった。

オーボエは各学年に1人ずつしかいないパート。

なんの偶然か、先輩たちは皆美しく「オーボエパートは歴代美人が担当する」という部内の伝承があった。

私がオーボエに決まった瞬間、その伝承は
オーボエパートは歴代手がきれいな人が担当する」という言い回しに変わった。

私は、歴史を変えた。

作文の書き方の話

こんなこと私が今更エラそうにツラツラと書き連ねることじゃないだろうけど、今日唐突にふと思い出したエピソードがあったので小中学生のときに悩みがちな「作文の書き方」について書いてみたいと思う。

 

「作文」の宿題に悩まされている小中学生のみなさん

お題が決まってればムリにでも原稿用紙のマスの埋めようがあるものの、「自由題」とか言われちゃうと何書けばいいのか一生思いつく気がしないし、もうほぼ拷問に近いレベルでしょう。

そんな事態に陥っているみなさんに私が申し上げたいのは『Don't think. Feel!!!』ということであります。とてもベタだけど。

 

あれは中2の冬休みだった。私が通ってた中学校では毎年冬休みに「自由題」の作文の宿題がでた。中1のときはどうやって乗り切ったか忘れたけど、中2のときは題材を絞り出す時点で相当苦しんでいた。まぁ、そもそも着手が冬休み終わる前日くらいだったという問題もあるのだが、それほど後回しにしたいくらい、とにかく何も思いつかなかった。

私は小中学生の頃はどちらかというと優等生で通っていて、作文なんて超絶やりたくないという思いと裏腹に、書くからにはそれなりに評価されるものを書かなきゃ、という変なプライドがあった。この冬休みの作文はクラスで選ばれた1人だけが学校全体の文集に掲載される、というアレもあって、要らん承認欲求を心の底から完全に消し去ることが出来ずにいた。

 

中2の私は考える。如何に優等生的に、如何に美しい考えを、如何に飾り抜いたかっちょいい言葉で綴ろうか、と。

たしかその年はオリンピックが開催された年だったかなんだったか、オリンピックの感動を世界平和への想いと絡めて書こう、というようなことを思いついた。

さて、テーマが決まった。筆を執る。だがしかし、400字詰め原稿用紙の半分も書ききらないうちに、筆は止まった。話がうまくつながらない。テーマを決めたはずなのに、何を書いたらいいのか全く言葉が湧いてこない。

そんなこんなでジリジリして時間だけが過ぎていった。冬休みの終焉が刻一刻と近づく中で、「残り少ない休みを満喫したい気持ち」と「そこそこのデキの作文を書きたいという気持ち」を乗せた私の心の天秤が大きく前者に傾いた。もーいーや。宿題が提出できればなんでもいいじゃねーか。一刻も早くこの苦しみから開放されることが、今私が何より優先すべきことである!!!!と。

 

世界平和とかスケールのデカイことを考えるのを完全に放棄して、冬休みに必死にやっていた縄跳びの練習について書くことにした。

実はその年の冬休み明けには体育で縄跳びのテストが予定されていて、一定の課題をクリアできるまで追試、という仕打ちが待っていた。運動神経皆無な私は、恥ずかしながら中2にもなって二重跳びができず、追試の無限ループが約束されたその状況から抜け出すため、冬休み中必死に二重跳びの練習をしたのだった。

こんな恥ずかしい話、本当なら絶対書きたくなかったけど、もう完全にどうでもよかった。どうせ国語の教師以外だれも読まないんだから。とにかく一刻も早く宿題を終わらせたい一心だった。

 

書きたくないな、と思いつつ筆を執って縄跳びについて書き始めると、スラスラと筆が進んだ。びっくりするほど軽快に原稿用紙が文字で埋まっていった。冷静に考えればそりゃそうだった。つい最近まで起こっていた事実や、そのとき感じてたことを飾ること無くそのまま書き連ねればよかっただけだったから。

 

そうして「捨て駒」として提出された作文は、クラスの代表として文集に載ったのだった。小中高あわせて、後にも先にもクラスの代表として文集に載ったのはこの時だけだったかもしれない。

国語教師は言った。「臨場感あふれる文章で、そのときの光景や感動が目に見えるようだった。すばらしい」と。

 

その時は、「載ってほしくない作文に限って、なんでだよー!!!」とマーフィーの法則くらいにしか感じていなかったけど、今考えるとよくわかる。

事実とそれに則した自分の感情を嘘偽りなく綴ったのだから、そりゃ臨場感あふれてただろう。感動も伝わりやすかっただろう。

逆に、「世界平和」云々を書こうとして言葉が見つからなくなったのも当たり前だった。それは中2の私が普段から感じていることではなく、作文のためにその場で無理矢理に考え出した"創作感情"だったから。

 

というわけで、作文で悩んでいる小中学生がいたら、「実際に自分の心が動いたことを、ありのまま書きなさい」とアドバイスしたい。それはどんな些細なことでもいいと思う。中学生くらいになってくると、変な"おかず"をつけて話を美しくしたくなるけど、そんなことしなくていい。教訓じみた深イイ話が入っている必要はない。そんなことより自分のありのままの心情をより詳細に表現すればよい。

もし筆が進まなくなったら、そのテーマは違うと判断してもよいと思う。

自分にとって無理のない言葉でスラスラ書ける、それがよい作文を書けている証拠だと思う。国語の授業で教わる「文章を上手く見せるスキル」を駆使できなかったとしても、自分の心が動いたこと率直に伝えることができれば、人の心も動かせる(可能性が高い)と思う。

 

そんなわけで、もう2000年くらい前から語り尽くされてることかもしれないけど、なんとなくエピソードを共有したかったので、書きたいという思いのまま書き連ねてみました。

お付き合いありがとうございました。

 

 

 

 

 

大御所にA0パネルを持って特攻してみた話②

これは、とある業界の大御所(先生)にA0パネルを持ってアピールしてみたという話の後編である。

(前編はこちら⇒ 大御所にA0パネルを持って特攻してみた話① - ニートザッカーバーグのよくすべる話

 

作成したA0パネルを背負った私は、先生が講師を務める学校の授業へと向かった。

(学校に辿り着くまで完全に一人で行動しているので、運搬の様子を客観的に写真に撮ることは叶わなかった)

 

改めてパネルを背負ってみると軽くて負担はないし、両手は空くし、背負紐を取り付けた自分天才か、と思ったけど、歩きはじめると後ろに蹴りあげる脚がいちいち背中のパネルに当って歩きづらいことこの上ない。人間工学的な考慮・配慮が大幅に抜け落ちた設計であったことにやっと気づく。

仕方なく、腰を折り曲げて、赤子を背負い紐なしで背負う時のように、後ろ手でパネルを少し持ち上げながら歩くことになった。これなら背負わず普通に前に持った方が楽かも、と感じなくもなかった。

 

人混みではパネルを背中からおろし、なるべく小さくなりながら一生分の横歩きを駆使して歩を進めた。パネルも心も何度も折れそうになったが、なんとか目的地についた。通行中ご迷惑をおかけした皆さん、誠に申し訳ありませんでした。

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(駅は思った以上に人が多くていろいろ折れそうだった。皆さん本当にごめんなさいでした。)

 

出発前は、これから実行する計画のことを考えては心臓が口から飛び出しそうになっていたが、道中はとにかく安全に運搬することに必死で緊張感が薄らいでいた。学校についてからは、運びきったことに一安心したのか、授業に集中することもできた。

 

しかし授業が終わった瞬間、私の身体の中で「総員、配置に付け!」という命令が響き渡り、大騒動がはじまった。

もう心のバイブレーションが止まらない。というか心のみならず、完全に身体がバイブレーションしている。早めに出口に向かい、先生を待ち構える準備をしようとするのだが、もう焦ってるし緊張しているし手は震えてるし、パネルの梱包を解くことさえままならない。他の生徒さん数名が何がなんだかわからないままに手伝ってくれる。優しい。ありがたい。だがそれでも私の気持ちは、北島三郎かというくらい祭りだ祭りだと落ち着かない。丁寧にパネルを出している余裕はなく、盛りのついた獣のようにビニールを破りさり、とにかくギリギリの状態で裸に剥ききることに成功した。

 

教授の推薦状も手元に準備して、ビルのエレベーター前で先生が降りてくるのを待つ。もう完全に頭は真っ白である。

 

エレベーターが1階に到着し、先生が降りてくる気配がした。先生じゃないといいな、と心のどこかで願ったが、先生だった。

私は、パネルを掲げて先生の前に立った。

「・・・・え?何やってんの?」

と驚きつつも冷静な口調で先生は言った。

「あの、私を雇って下さい」

と私は言っただろうか。なんかもはやよく覚えていない。

 

「それ持って来たの?すごいね・・・」

というようなことを先生は言っていたような気がする。

全般的に、面白がっているというより、困った様子だった気もしないでもない。

 

そんな先生のリアクションも相まって、A0パネルの大きさとは裏腹に、私の心は完全に萎縮していた。

「これ、自分の学生時代の恩師からの推薦状です」

と言って推薦状を渡し、ぜひ、ご検討ください、というようなことをハニカミながら伝えた。

気が動転しすぎて「コレ、背負えるんです」とかパネルの構造を説明していた気がする。そうじゃない。伝えるべきことはそうじゃないだろ、私よ。

先生はその場で推薦状を読んで下さり「へーすごいね」と言いつつも、最終的には

「わかりました。受け取っておきます」

と言って、去っていった。

 

そう、去っていった。

 

 

終わったのである。私のアピールタイムは、終わったのである。

 

「キミは面白いなー!よしっ、俺のところで修行してみるか!」

ってなことをその場で言ってもらえることが成功だったとすれば、まあ一言で言って、失敗、だったのかもしれない。(「かもしれない」というのはちょっとした強がりである。)

 

完全に、私のアピール力不足。作戦不足。決定力不足。

口で何を伝えるかが大事だったのに、脳内シミュレーションではちょっとした冗談を言って笑ってもらうところまで妄想していたのに、やっぱり緊張しすぎて上手く想いを伝えられなかった。

やってることは大胆な割にハニカンでる私、ギャップ萌え。とか言ってる場合ではない。終ったという安堵感と同時に、反省の念がドッと押し寄せてきた。

 

私は結局今回、冒頭で語った「特攻に向いてない」という自分の性格の壁を打ち破ることができなかった。アピール下手な自分の性格を分かっていたのだから、一言一句準備して練習するべきだった。

 

結論として、特攻系アピールは誰がやってもすぐ上手くいくわけではない、という当初の自分の考えはある意味で正しかったかもしれない。でも、やって損するものではないというのもまた正であった。以下のとおり、むしろプラスしかない。

・自分の存在を、先生を始めとする学校のみんなに印象づけることができた

・自身の行動力を高めることができた

・もやい結びを覚えた(背負紐と取り付ける際に使った)

とにかく、今回の「詰めの甘さ」への反省を活かし、これを第1段階として、今後引き続きやりたいことに向かってがんばればよいのだ。この経験はそんな前向きな原動力になった。

 

 

余談だが、

アピールタイムが終わった後、ふと気づけばパネルを梱包していたビニールは、私の気持ち同様ビリビリに敗れており、浅はかな私は復旧のためのガムテープ等も持ってきていない。大きな緊張感から開放された脳みそはそれ以上考える事を放棄し、帰りは生でパネルを持って帰った。

 

背負うと歩きにくいので、紐を左肩にかけて、ちょっとした盾のようにしながら帰った。左側からいかなる攻撃を受けても殺られる気がしない。

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(帰りは駅まで一緒だった他の生徒さんに写真を撮ってもらうことに成功)

 

ホームからはまた一人。なんだか記念撮影をしたくて撮ってみた。

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ちなみにこの写真を撮っているとき、中年男性に「お仕事探してらっしゃるんですか?」と声をかけられた。曰く、経営コンサルをやっていて事務職を探しているということだったが、事情を説明して丁重にお断りさせていただいた。

彼の言っていることが本当だったかどうか確かめようがないが、まさかこの短時間に本当にそんな風に声をかけてくれる人が現れると思わなかったので驚いた。

この求職パネル、意外とオポチュニティを引き寄せる効果があるかもしれない。いざというときはこのオポチュニティパネルを持ち歩けば良い、という秘策を得たことも、今回の収穫のひとつだ。

 

今、我が家の玄関をくぐるとこのような光景が広がる。

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面白系のお仕事があったらお声がけください。カッコワライ

  

大御所にA0パネルを持って特攻してみた話①

若くして異例の登用で成功を収めたという人にそのきっかけを聞くと、「いきなり業界のトップのところに直接出向いてアピールしてやったんですよ。そしたら気に入られちゃって。ハハハ」という話をたまに聞く。

もしかしたら自分が記憶しているそういう話の半分くらいはフィクションの世界の話だったかもしれないけど、話題となる成功談として「よくある話」な気がする。

まぁ、しかしそうやって成功する人は間違いなく、そういうアピール方法に適正がある人である。と私は思っている。

仮に私がこの性格で、意を決して突如どこかの大御所のところに乗り込んだとしても、結局下駄箱にラブレター入れてこっそり帰ってくることくらいしかできない。面と向かえば、喋り出しのドモり部分だけで2分くらい要する。だから決して、そういうやり方を真似しようとは思わなかった。

 

今、私はいわゆる「笑い」を創る人になりたいと思っていて、尊敬するその世界の大御所が講師を務める学校に通っている。ただ当然、学校に通ってるだけではダメで、何かしら次に繋がる行動を起こさなければならない。だがその行動をなかなか起こせずグズグズしているのが、もはやダメ人間であることを見失いそうになるほど信頼のダメ人間っぷりを自負する私である。

 

そんな状態で、超久しぶりに大学時代の尊敬する先輩に会う機会があった。類まれな才能とアピール力をいかんなく発揮して独自のフィールドで活躍し続けるその先輩は、私の状況を聞くなり言い放った。

「その先生に雇ってもらえるようA0のパネルを持ってアピールしろ」と。

「何も失うものはないのに、それくらいやれなくてどうする」と。

 

ご存知ない方のために説明すると「A0(エーゼロ)」というのは、A4, A3と同じ用紙サイズの規格で、その名のごとく「A」シリーズでは最も大きい「841mm × 1189mm」を誇る。私も学生時代参加した学会の「ポスター発表」というやつでしかお世話になったことはない。

 

先輩の言葉を聞いたとき、いやいやいや、と思った。そのやり方は私には向いてないんです、と考えていた。

ところが「だってそれって面白いよね?」という先輩の言葉を聞いて、心が傾いた。そうか、確かに面白い気がする。私はもとより面白いことをやりたいのである。面白いことをやって、今後面白いことをやりたいんだというアピールもできて、もっと大きな面白いことをやるチャンスに繋がるなら一石何鳥か!

それに、失うものは何もなく今より悪い状況になることはありえない、というのも事実だった。これぞ世に言う"ノーリスク"である!

心の角度が重力のなすがままにクルっとひっくり返り、気が付くと

「はい、実行を約束します」

と口が動いていた。

 

作戦実行の日は、次の学校の授業の日。何食わぬ顔で授業を受けたあと、出口で巨大パネルを持って先生を待ち構える、という算段である。

先輩との約束から実行までの時間は5日間。怒涛の準備が始まる。

 

A0の巨大パネル以外にも、自分が目指す業界ではほぼ必要とされない修士卒という学歴を活かして、教授の推薦状も書いてもらうことにした。もちろん"笑い"とは全く関係ないサイエンス分野の教授である。その分野で名の通った教授だが、教え子のそういう前向きな挑戦は喜んで受け入れてくれる懐の広さを持った素晴らしい指導者でもある。

自己満足かもしれないが、全然関係ないサイエンスの教授の推薦状持ってるとか、その意味不明さがなんとも言えずじわじわくるに違いない。

 

まず、教授に推薦状の依頼を申し出たところ、光の速さで快諾してくれて、光の速さで対応してくれた。これまでの自分の人生での素晴らしい出会いを実感して、しばし感激した。

 

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(内容は晒せないけど、真剣な推薦状を書いていただいた)

 

そして、A0パネルの作成である。A0の発泡スチロール板を買って、それにA0ポスターを貼ることにした。

ところが、いざA0の発泡スチロール板が家に届いてみたら

とにかくデカイ。

A0という大きさを拝むのは久しぶりすぎて忘れていたが、なんていうか、こんなだ。

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持ち運び過程を考えて一瞬ひるんだけど、もう後には引けない。

 

この板に貼るポスターについては、何をどのように描くか悩んだ末、シンプルイズベスト、ということで伝えたい思いをバシッとシンプルに表現することにした。

 

某印刷サービスで印刷したA0ポスターも手元に届き、夫の協力も得ながら夫婦初めての共同作業バリの共同作業っぷりで発泡スチロール板にポスターを貼り・余白部分を切り取って、気がつけば疲弊しきって完成したパネルがこちらである。

 

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パネルはできたが、まだホッとはできない。

最大の課題は、これをどうやって持ち歩くか、である。(車を持っていない私には、車で運ぶという選択肢はない。 )

先輩は風呂敷に包んで持っていけばいい、みたいなこと言ってたが、そんな手土産みたいに持てる大きさじゃない。てかこんな大きさの風呂敷なかなかない。

実は、A0発泡スチロール板をひと目見たときからピンときていた。

「これは、背負うしかないだろ」と。

 

というわけで朝顔の観察日記バリにリュックサックをじっくり観察して紐を取り付けた結果、

できたっぽい。

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この写真のように、ただ歩くだけであらゆる人に職を乞うことができる優秀な「求職パネル」としても使用可能な仕様となったが、今回は先生にだけ伝わればよいので、運搬過程では目に触れないように梱包し、最終形はこうなった。

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準備は完了。

 

そして、いよいよ当日。

パネルを背負っていざ出発である。

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次の記事につづく↓

大御所にA0パネルを持って特攻してみた話② - ニートザッカーバーグのよくすべる話

スライドと会話するプレゼンメソッドを提唱した話

私は、以前勤めていた職場で、

「"スライドと会話する"という新しいプレゼンメソッドを提唱した」

ことがある。

 

そのきっかけは、職場のおじさんたちのプレゼンテーションが得てして聴衆を惹きつけない、という問題意識からだった。もちろん私自身も決してプレゼンテーションがうまいわけではないので誠に僭越な物言いではあるのだが、なにかしらその企業文化を打開できないか、という思いがずっとあった。

 

個人的には、彼らのプレゼンには以下の3つが足りない、と常々思っていた。

①見やすいスライド

  → 1枚のスライドに情報を詰め込みすぎで何が重要なのかわからない。

②動き

  → 視覚的な刺激がない。

③ユーモア

  → とにかくマジメ。

 

 

そんなある時、若手が昼休みに集まって自分の話したいことなんでもいいからプレゼンしよう、といういわば「プレゼンテーションの練習会」の場への参加を勧められたので、私はそこで新しいプレゼンテーションメソッドをプレゼンすることにした。

 

そのころ既に以下の様なプレゼン手法が流行って(?)いたと認識している。

 

もんたメソッド

重要なワードの部分だけ隠しておいて、めくりながら説明していく手法

こういうやつ↓

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高橋メソッド

重要なキーワーだけがでっかく真ん中に書いてある超シンプルなスライドで説明する手法↓

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これらに対し、私が提唱したN.Zuckメソッドは、「スライドと会話する」という新しい形式であり、上述した3点「見やすいスライド・動き・ユーモア」を組み込んだプレゼンテーション手法として、職場で活用されることを目指した。

 

以下に、実際に私がN.Zuckメソッドを使って実演したプレゼンテーションを例示したいと思う。

一応SEだったので、この時は業務に絡めて、

"メインフレーム"という古いハードウェア上で動くとても古いシステムを、"クラウド"という新しい環境に移行して動かそうという「ITモダナイゼーション」

の説明を例にとった。(プレゼンメソッドデモなので内容が超薄っぺらいことには目を瞑ってください)

 

※便宜上、スーツ姿の男性の絵をプレゼンテーターとして示す。右側の四角の中がスライドである。また、本プレゼンテーションではプレゼンテーターは擬人化された「メインフレーム役」として話を進めていきます。

 

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--------完-------

 

まあ、そういうわけである。

「見やすいスライド・動き・ユーモア」はクリアしていると自負しているが、実演してみた気づきとしては、

演技力が必要・本番と同じ環境での練習が必要・相手が文字なので間のとり方が超難しい・ウケないと心が折れる

などなど、成功を収めるには、多様な難関を乗り越える必要がある。

わかりやすく言えば、「ハイリスク・ハイリターン」

 

さて、このN.Zuckメソッドを提唱して2年、実際に活用されているのを一度も見たことはない。

 

 

退職エントリー

IT業界特有のことなのかよくわからないが、世の中には結構「○○を退職しました」というブログを書く人がいるということなので、私も流れに乗って退職エントリーというやつを書いてみたいと思う。

とはいえ、この「退職」は1年以上前の話である。

このブログの1つ目のエントリー「ハローワークに行ってきた」の前の、いわば"エピソード0"を後出しするという流行りの演出である。

 

私は1年ちょっと前、5年間勤めたSEを辞めた。

辞めることを決意してまず実行したことは、上長にその決意を伝えることだった。

こっそり会議室で面談してもらい「○月いっぱいでやめます」と伝えると、「やめた後どうするのか?」という質問を受けた。まあ、当然の反応である。

私は「人を笑わせます」と答えた。

一瞬の沈黙の後、上長の表情から上長らしい威厳が失われ、なんとも情けないものを見る顔で「・・・へ?」と再度問いかけられた。まあ、当然の反応である。その決意自体が冗談にしか聞こえない。

言うてみれば私の発言は「オレ、ビッグになるんで」とほぼ同義だった。自覚なかったけど。

三十路にもなって、実態のない雲をつかむようなことを言って、割と高収入で割と安定した有り難い地位を捨て去ろうとしているのである。深刻な中二病患者としか言い様がない。呆れて言葉にならない、というのが上長の心境だっただろうと思う。

それでも私は真剣だった。本気だった。めっちゃ考え抜いたつもりつもっていた。

「人をエンターテインするのです」ともう一度答えた。

 

その日は金曜日だった。

「頭を冷やして土日ゆっくり考えてみなさい。また月曜日に話そう。」

上長はその一言残して、面談は終了した。彼の精一杯の配慮、優しさだったと思う。そして異例の対応だったと思う。

それに対し私は「月曜になっても考えは変わりませんよ」というカッコイイ捨て台詞と共に、アルカイックドヤ顔をキメていた。誰も見てなかったけど。

 

そして月曜日、また同じやりとりをして、キミは本当にバカなことをしようとしているんだよ、と散々諭して頂いたにもかかわらず、意志の硬さをアピールする私に上長ももうどうしようもねーや、と匙を投げて私はSEを辞めることになった。

これが「やめちゃった退職※」の顛末である。

 

※ やめちゃった退職とは、「やめちゃった」という軽いノリで退職すること。もしくは(本人にその気がなくても)周囲からそのように見える退職。

 

 

退職エントリーと言えば、前職への想いを語るのが通例だと思うので、ここからはそれに倣おうと思う。

思い返せば、何をやっても続かない・成し遂げない私が、よく5年間も続けられたものだと思う。ひとえに周囲の人々の支えや整った職場環境のおかげである。

しかしもっとちゃんと思い返すと、入社後の最初の2年間くらいはSEとして働く傍らでミュージカル俳優を目指そうとしていたという馬鹿げた事実が掘り返される。

実家暮らしをいいことに一生分のバイタリティを浪費しながら、バレエ・ジャズダンス・タップダンス・歌・ミュージカルサークルという5つの習い事を掛け持っていた。かけている時間だけ見ると、どっちが本職だ、という話である。

当初結構本気でがんばったけど、2年間くらいでそれも諦めた。まぁリームーだった。

その後、変な野望は捨ててマジメに働いていたつもりだが、辞めるときに、自分が会社で成し遂げたことってなんだろうと振り返ってみたら

「社内ブログにダジャレを書いて好評を得た」

「社内でIT駄洒落コンテストをひらいた」

「"スライドと会話する"という新しいプレゼンメソッドを提唱した」

くらいしか思い浮かばず、まあ結局、特に成し遂げたことはないというのが結論だった。

 

やはり安定の「成し遂げなさ」を保っていた5年間だった。

よかった、ブレてない。

 

そして、なにも成し遂げないうちに、退職しました。

本当に、ありがとうございました。

 

賢い大人は真似しないでください。